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旅の思い出 尾瀬ヶ原ハイキングツアーに行ってきました。

  1. 2008/07/27(日) 19:28:26|
  2. 思い出の旅行|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
 平成20年 6月 7日、ビィーフリー石塚観光が主催する尾瀬ヶ原ハイキングツアーに行ってきました。尾瀬ケ原は標高1400メートルに位置する本州の一高層湿原です。戸倉バス停からシャトルバスに乗り換え鳩待峠に到着しました。午前5時開門を待っての入場でした。鳩待山荘から山の鼻に向かいました。山の鼻から自由散策となり午前10時30分に集合することになりました。集合後は山の鼻小屋でカレーライスの昼食をとりました。ジャガイモがたくさん入っておりおいしかった。ちなみに値段は700円。不便な場所にある店から考えると安いという印象を受けました。

尾瀬(おぜ)は、福島県・新潟県・群馬県の3県にまたがる地域である。中心となる尾瀬ヶ原は約 1万年前に形成されたと考えられる、日本を代表する高標高地の湿原であり、その大部分は高層湿原であるため、日本最大の高層湿原でもある。尾瀬ヶ原のほか、尾瀬沼や至仏山、燧ヶ岳等が含まれる国立公園特別保護地域が「尾瀬」地域であると考えられるが、広義では登山口の大清水や御池あたりまで尾瀬とされることもある。歩道以外への立ち入りが厳しく制限され、ごみ持ち帰り運動の発祥地であるなど、日本の自然・環境保護運動の象徴でもある。

概要
左から順に尾瀬沼、燧ケ岳、尾瀬ヶ原.手前の谷は三条ノ滝から奥只見湖(銀山湖)に繋がる只見川最上流部(2006年06月撮影)1934年に日光国立公園の一部として国立公園に指定され、1953年に国立公園特別保護地域、1956年には天然記念物(天然保護区域)に、1960年には特別天然記念物に指定されている。2007年8月30日には日光国立公園から独立し尾瀬国立公園となった。日本百景にも選定されている。
自然の宝庫である尾瀬は活火山である燧ケ岳の噴火活動によってできた湿原であり、ミズバショウやミズゴケなど湿原特有の貴重な植物群落が見られる。ほぼ全域が国立公園特別保護地域および特別天然記念物に指定されており、既にある道以外の場所への立ち入りが禁止されている。
このような湿原としての重要性から、日本国政府は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約)が指定する湿地の候補として選定した。2005年10月21日には国内での登録を終え、2005年11月8日第9回会議で正式に決定された。

地理
尾瀬ヶ原と燧ヶ岳。牛首方面から撮影
木道はほとんどの場所が複線化されており、右側通行である。右端にある池は、池塘と呼ばれる。
三条の滝
至仏山、燧ヶ岳、袴腰山、中原山などの2000メートル級の山に全方向をかこまれた盆地である。東側が上流域にあたる尾瀬沼で標高1660m、西側の下流域にあたる尾瀬ヶ原が標高1400m。尾瀬沼と尾瀬ヶ原周辺に湿原が多い。沼や湿原は只見川の源流となっており、尾瀬ヶ原の水は全て三条の滝となって流れ出る。東西約6km、南北3km。特別保護地域の面積はおよそ8690ha。

尾瀬ヶ原の湿原と拠水林
尾瀬ヶ原の湿原は「拠水林」によっていくつかに分割されている。拠水林とは、湿原の外部から湿原を貫通して流れる川の両側に成立している林のことである。湿原の外部から流れてくる川は多くの土砂を運び、川の両側に自然堤防を形づくり、そこだけは樹木の成長が可能となる。ただし、全ての川に拠水林が成立するわけではない。小規模な川は湿原に流入直後の短い距離にしか拠水林を作れない川が多い。また、湿原内に湧き出た泉を水源とする川にも拠水林は成立しない。
拠水林によって尾瀬ヶ原の湿原は、いくつかに分割されており、それぞれに独自の名称がついている。川上川と上ノ大堀川に囲まれた「上田代」。上ノ大堀川とヨッピ川、沼尻川に囲まれた「中田代」。沼尻川と只見川に囲まれた「下田代」が主な湿原であるが、周囲にも「背中アブリ田代」や「ヨシッ堀田代」、「赤田代」などの湿原があり、至仏山や燧ヶ岳の山頂から尾瀬ヶ原を展望するとモザイク状に拠水林によって分割されている様子がわかる。

自然保護運動
尾瀬では自然保護運動がさかんであり、これらの運動の一部は尾瀬の後に他地域で実践されるようになったものも多い。このため、これらの活動について列挙する。なお、自然保護を目的として1972年には群馬県尾瀬憲章が制定。1996年には尾瀬保護財団が設立されている。

反ダム運動
最初期の自然保護運動は、尾瀬原ダム計画の反対運動であった。尾瀬沼のほとりに住んでいた平野長蔵は、一人でこれに反対。発電所の建設に反対するために、尾瀬への定住を始めたという。実際には、発電用施設は尾瀬沼南岸に取水口が1つ建設されたのみで、それ以外は建設されなかった。1956年に尾瀬地域が天然記念物に、1960年には特別天然記念物に指定された時点で事実上発電所計画は不可能になっていたものの東京電力は1966年まではこの地に発電所建設計画を持っていた。また、それ以降も太平洋側への分水路建設計画は残されていた。東京電力が発電所建設や分水路建設計画を正式に断念するのは1996年になってのことである。ただし現在でも尾瀬地域の群馬県側は全てが東京電力の所有地である。現在の東京電力や子会社の尾瀬林業は木道の建設や浄化槽式トイレの建設、湿原の復元など、環境省や各自治体と並び尾瀬を守る活動の主体のひとつとなっており、尾瀬林業は尾瀬地域の5つの山小屋の経営母体でもある。

反道路建設運動
その後尾瀬が有名な観光地になると、自動車で乗り入れができる、より簡便な観光ルートの建設が開始された。1960年代当時、自動車で入山できる場所は富士見峠しかなかったが、この後、鳩待峠、沼山峠が整備され、峠の頂上付近まで自動車で乗り入れることができるようになった。この後、三平峠と沼山峠を結ぶ自動車道の建設が始まるが、建設開始直後の1971年7月25日、平野長蔵の子孫の平野長靖が当時の環境庁長官大石武一に建設中止を直訴。5日後、大石が平野とともに現地を視察すると、直後に建設は中止された。竣工した道路の一部は1998年までに廃道になった。
ごみ持ち帰り運動
ごみ持ち帰り運動も、尾瀬が元祖であるとされる。それまで尾瀬には多くのゴミ箱が設置されていたが、ごみの処理に苦労していたうえ、ごみ箱はすぐにあふれたため、入りきらなかったごみはごみ箱周辺に散乱し、風などで周囲に飛散していた。ごみ持ち帰り運動は「逆転の発想」として1972年に開始され、翌年までにはすべてのごみ箱が撤去された。この運動はその後他の地域にも広まっていった。また、それまでは不燃ごみは穴を掘って埋めることが多かったが、それらの「過去のごみ」も順次発掘の上尾瀬の外に搬出する作業が、ボランティアも交えて行われている。
廃棄物の処理
ごみ以外の廃棄物も原則として尾瀬には廃棄しないのも特徴である。公衆トイレの排泄物などは、合併浄化槽で液体部分は排水しても問題ないレベルまで処理して放流し、固体部分は脱水・乾燥処理しヘリコプターで回収している。排水をパイプラインを通して尾瀬外の河川に流すトイレもある。ただ、合併浄化槽を運転するために、24時間自家発電の運転が必要となり、維持コストがかさむために、1回使用あたり100円から200円のチップ制になっている。尾瀬はほとんどの山小屋に風呂が設置されているが、現在は汗を流すだけで石鹸・シャンプーは使用できない。食器洗いの際も汚れは極力ふき取り処理が行われており、洗剤の使用は最低限に抑えられている。これは、これらの生活廃水などが自然環境に影響を与えると考えられているためである。
自動車乗り入れの制限
1999年には自然保護を理由に、乗り合い自動車以外の自動車の乗り入れが一部禁止された。規制は数年かけて徐々に強化されており、2008年現在、群馬県側の鳩待峠口では5月中旬から7月末および10月初めから中旬の全日と8・9月の週末は自家用車の乗り入れができなくなっている。また、福島県の沼山峠口では通年自家用車の乗り入れができなくなっている。その他、かつて唯一峠まで自動車で登ることができ、1960年代は最も多くの登山者が利用した富士見峠は、後述するアヤメ平の保護のために、富士見下から富士見峠間について通年許可車以外の通行はできなくなっている。
尾瀬の木道
ほぼ全域にわたって木道が整備され、木道以外の場所を歩けないようにしてあるのも、尾瀬の特徴である。尾瀬に最初の木道が設置されたのは1950年代と言われている。当初、木道の目的は登山者を湿原のぬかるみから守るためのものであった。しかし1960年代、当時尾瀬で唯一すぐ近くの富士見峠まで自動車で行くことができた、尾瀬地域で最も標高の高い湿原のひとつであるアヤメ平が、単線の木道しか設置されていなかったために、行き違いが出来ずに湿原に降りた多くの登山者により踏み荒らされたことを契機に、1966年から尾瀬のほぼ全領域で計画的に複線の木道が整備されるようになり、木道以外の場所は歩けないようになった(一部登山道を除く)。現在では木道の目的は湿原を登山者の踏みつけから守るものへと変化している。なお、複線部分の木道は右側通行となっている。
かつての木道は尾瀬周辺の林で伐採した木材が利用されていた。しかし、尾瀬地域が特別天然記念物に指定されるなどして、この方法は使えなくなり、その後は地域外の木材をヘリコプターなどで搬入して利用している。最近の木道はカラマツ材が使われることが多い。カラマツは樹脂が多く湿原の水分に浸された状態でも比較的長持ちするからであるが、それでも10年前後で更新が必要であるため、計画的に更新工事が尾瀬の各所で行われている。木道の廃材の一部は、中心部の朽ちていない部分が各種木材製品に転用されている。
東京電力設置の木道に押印された焼印木道の設置・更新工事は、現在は福島県域では福島県によって、群馬県域では群馬県と東京電力によって、新潟県域では東京電力によって行われている。木道の表面には設置年を示す焼印が木道一本ずつに押されている。この焼印はたとえば2007年(平成19年)設置のものなら群馬県設置のものは「群H19」、福島県設置のものは「福H19」、東京電力設置のものは「(東京電力のマーク)H19」と記されており、設置者と設置年が明らかになっており、更新の参考になっている。
木道はかつては湿原に横板を介して直接置かれたものがほとんどであった。しかし低層湿原部分などで、大雨のあとの増水時などに冠水しやすい部分や、融雪期に雪解け水で冠水しやすい部分は、橋梁状の地面からの高さが高いものに作り直されている。
木道の単線あたりの幅は、ほとんどの場所で約50cmで、幅広の木材を2枚使ったものから、幅の狭い木材4枚を使ったもの、その中間の3枚の木材を使ったものまである。群馬県側の登山口のひとつ大清水の湿原には車椅子対応の幅150cmのものが設置されている。段差をなくし、車いすが落ちないように両端に車止めを付けるなどの配慮がなされている。2008年までには同様のものが福島県側の御池登山口の湿原にも設置される予定となっている。歩行者の少ない地域では単線の木道だけの場所や、幅30cm程度の狭い木道が設置されている場所もある。
なお、複線木道整備のきっかけになったアヤメ平は1966年から群馬県が復元事業を開始、また1969年からは東京電力(尾瀬林業)も復元事業を実施している。採取した種子をまき、高山植物を現地で栽培するという方式をとり、2008年現在も、復元作業は継続されている。
その他
主な登山口には種子落しマットが設置され、外来植物が極力尾瀬に持ち込まれない努力がなされている。 山の鼻と尾瀬沼畔にはビジターセンターが設置され、尾瀬の自然の紹介と、自然保護活動の啓蒙を行っている。スライドショーや観察会等も行われる。なお、山の鼻ビジターセンターは群馬県が、尾瀬沼ビジターセンターは環境省が設置しているが、両センターの運営管理とも現在は尾瀬関係3県によって設立された財団法人尾瀬保護財団が運営管理を行っている。 近年、ニホンジカが増加し、ニッコウキスゲなどの花芽が食べ尽くされ、極端に開花が少なくなる場所が増えるなどの影響が起こり始めている。 2003年、長蔵小屋が周辺に廃材などの廃棄物を不法投棄していたことが判明。2004年、従業員2名に執行猶予付きの有罪判決が下され、山小屋には罰金120万円が命じられた。
観光・登山
尾瀬ヶ原と至仏山
尾瀬ヶ原と燧ヶ岳
[編集] アクセス
現地には自動車道は通っていないため、登山口からは徒歩で行くことになる。入山口は群馬県側が鳩待峠・富士見峠・大清水(三平峠)の3ヶ所で、福島県側が御池・沼山峠の2ヶ所。このほか新潟県側からの入山口(越後口)がある。バス停から尾瀬までの行程が短い鳩待峠と沼山峠の2つの入山口からの入山者が多く、これら2箇所では前記のように自家用車乗り入れ規制がある。特に東京方面からの便が良く峠まで自動車が上がるため体力的に楽な鳩待峠からの入山が半数以上を占めている。
自家用車の場合、群馬県側は、片品村戸倉の尾瀬第一駐車場(有料)、尾瀬第二駐車場(並木駐車場)(有料)に止め、そこから路線バスまたは乗合タクシーで登山口である鳩待峠に向かう。乗車券はバスと乗り合いタクシーは共通であり、頻発運転により利便性を確保している。福島県側からは、御池駐車場(有料、規制期間によっては使用不可のことあり)、七入駐車場(無料)に止め、同様に路線バスなどを利用する。これらの駐車場のほか、大清水駐車場(有料)、鳩待峠駐車場(規制時は使用不可)、富士見下駐車場(無料)がある。このうち、鳩待峠駐車場は狭いため規制期間中は使用できず、また規制期間外でも満車の時が多い。しかも自然保護を理由として周辺よりも高い駐車料金となっている。
電車・バスを利用する場合、群馬県側は上越新幹線上毛高原駅または上越線沼田駅から戸倉行きまたは大清水行きのバスを利用。福島県側からは、野岩鉄道会津高原尾瀬口駅から沼山峠行きバスを利用する。なお、東武鉄道がシーズン中の週末を中心に浅草駅から会津高原尾瀬口駅まで夜行列車(尾瀬夜行)を走らせている(沼山峠行きの連絡バスに接続する)ほか、関越交通も新宿駅および東京駅から大清水行き夜行バスを走らせている。(戸倉で鳩待峠行きの始発のバスに乗り換えられる) このほかに、上越線浦佐駅から奥只見行きのバスに乗り、そこから定期船で尾瀬口、尾瀬口から定期バス(予約制)で小沢平・御池・沼山峠まで行く方法があるが、バスの本数が非常に少ない(1日2本(繁忙期のみ3本))こと、積雪のために開通が6月上旬になることから、このルートを利用する場合は、関係各機関に問い合わせるなど、事前の準備を十分に行う必要がある。
最も利便性の高い鳩待峠や沼山峠からでも、バスの終点から尾瀬の湿原までは、徒歩で1時間ほどかかる。なお、冬季は降雪により、冬山経験者以外の訪問は困難である。
山小屋・休憩所・キャンプ場
尾瀬見晴十字路の山小屋群尾瀬は広大なため、日帰りで一周することはほぼ不可能である。このため、湿原内に多くの山小屋が存在する。ただし、他地域の山小屋と異なり、すべての山小屋が事前予約制をとっている。これは、予約制でない時代に多くの登山者が詰めかけ、収容人員をはるかに上回る事態となったためである。このこと自体は他の山域の山小屋にもあることであるが、尾瀬の場合山小屋のオーバーユースが自然環境に与える悪影響を考慮して事前予約制に移行している。風呂がある小屋や、空いている時は詰め込みを行わない小屋が大多数であることも、他の山域の山小屋との違いである。
山小屋は、鳩待峠、山の鼻、竜宮、ヨシッ堀田代、富士見峠、見晴、赤田代、渋沢温泉、尾瀬沼東岸、三平下、大清水、御池、七入、小沢平の各地区に存在する。
多くの山小屋は、昼間もカレーや麺類など軽食を出す休憩所や記念品、飲料などを販売する売店としても営業している。山小屋以外にも管理人が常駐し、軽食の提供や売店を営業する有人の休憩所が各所にある。
山小屋の物資はヘリコプター輸送のほか、尾瀬ヶ原地区では生鮮食料品などはボッカにより輸送されている。夏山期間中毎日ボッカを職業とする人の姿を見ることができるのは、今や尾瀬ヶ原地区と白馬岳くらいになっている。
キャンプは指定された3ヶ所(山の鼻、見晴、尾瀬沼東岸)で可能であるが、尾瀬沼野営場は予約が必要である(予約先: 尾瀬沼ヒュッテ)。
公衆トイレは山小屋の存在する場所にしかない。使用はチップ制で、1回100円(沼尻のみ200円)を入口の箱に投入する。
注意点
尾瀬はほとんどの場所に木道が整備されており、湿原だけを回るなら、標高差は最大でも260m程度であり、歩行はそれほど困難ではないが、修理中の場所も多い。登山道からずっと木道があることから、軽装の日帰り観光客も多いが、現地は山岳地帯であり、同じ群馬県内の高崎などの平野部と比べて気温も10℃以上差がある。多くの人が訪れる初夏のミズバショウの季節は残雪も多く、気象の変化により急激に気温が低下することもある。また、中央分水嶺付近に位置することなどから夏の山の天気は崩れやすく、雨天時や雨天後は木道が水没していることもある。また、降雨時も1時間以上は歩かないと、バス停まで到着しないことに注意する必要がある。小屋泊まりの行程の場合はもちろん日帰り訪問の場合も雨具や水筒・防寒具など、最低限の装備は必要である。また、木道区間がほとんどであるため、タウン用のスニーカーなどで訪れる人も多いが、雨や残雪などで濡れた木道は特に滑りやすく、スニーカーの中には山道に不向きなものも多い。また、雨天後の雨水や融雪により木道が冠水していることもある。防水性のあるウォーキングシューズや軽登山靴などで訪問するのが良いだろう。
ツキノワグマが生息しており、過去に観光客が襲われた事例もあるため、特に早朝、夕刻には音の出る物の携帯も必要である。また、鐘を打ち鳴らす道具が設置されている場所もある。ただ、基本的にツキノワグマは人間を恐れている動物であり、正しい知識を持ち合わせていればある程度危険は回避できる。
歴史
数十万年前から1万年前までの間に周辺の火山活動により川がせき止められ、盆地が形成されたと考えられている。最初期に成立したのは尾瀬ヶ原で、かつてはここは湖で、後の堆積により湿地になったと考えられていた。しかし、1972年にボーリング調査が行われた結果、地下81mまでの場所では、ここに湖があったという証拠が得られなかった。このため、尾瀬ヶ原の成立については不明であるが、現在は盆地に堆積した土砂によって平坦な湿原が形づくられたとする説が有力になりつつある。
約1万年前に、火山の燧ケ岳が誕生した。火山活動による溶岩などによって、盆地の東半分がせき止められ、これにより尾瀬沼が成立したと考えられている。
このようにして尾瀬ヶ原と尾瀬沼が成立した頃は、氷河期時代であり、周辺では寒冷地の植物が自生していた。その後、氷河期が終了し、温暖な時代になると、南方から温暖地に住む植物が勢力を伸ばしてきたため、それまでこの地にいた植物たちは、しだいに北へ後退していった。しかし、尾瀬は、高原の盆地という特殊な地理条件のため、他地域の植物があまり入り込まず、氷河期時代に生育していた植物がそのまま現在も自生している。尾瀬の植物には、尾瀬以外ではロシアが南限というものが多く存在する。ただし、気候的には他の南方系植物も十分に生育可能なため、尾瀬へは他地域の植物の種子が入り込まないよう、特に監視がされている。
やがて文字による歴史の時代になるが、尾瀬はあまりにも奥地のため、ほとんど記述が残っていない。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


                                                                                               



尾瀬ケ原風景の動画はyoutube.com動画に投稿しましたので、こちらでご覧ください。

Yahoo!動画です。クリックしてね。


 なお、写真については、みんなで作るおでかけガイド「じゃらん」 もに投稿してありますのこちらも合わせてご覧ください。

「尾瀬ケ原の湿原に咲いていたタテヤマリンドウ」

「尾瀬ケ原の湿原に咲いていたチングルマ」

「尾瀬ケ原の湿原に咲いていたミズバショウ」

「尾瀬ケ原に咲いていたの湿原に咲いていたミツガシワ」 「尾瀬ケ原の風景」


 更に、写真については 趣味人倶楽部 にも投稿しましたので、こちらもご覧ください。

尾瀬ケ原に咲くチングルマ

尾瀬ケ原に咲くリュウキンカ

尾瀬ケ原にそびえ立つ白樺

Yahoo!動画です。クリックしてね。  


風景の編(尾瀬ケ原、ヨッピ橋、ダケカンバ、鳩待峠、至仏山、池塘、山ノ鼻、燧ケ岳、樹林、木道、牛首、竜宮十字路)

   マタタビ スライドショー 〜 尾瀬ケ原に咲く花

   マタタビ スライドショー 〜 尾瀬ケ原の自然

                                                  

花の編(ミツガシワ、ショウジョウバカマ、ミズバショウ、キュウキンカ、チングルマ、タテヤマリンドウ、オオバタチツボスミレ、ズミ、アイコ、ヤマドリゼンマイの芽、ヒメシャクナゲ)

                                             

看板等の編

    

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コメント

コメントありがとうございました。
もりちゃんさんも山と花が趣味なんですね。
自然っていいですよね。
私も自然の中にいると、心が安らぎます。
尾瀬も一月前だとミズバショウがキレイでしたね。今はすっかり花は終わって大きな葉だけになっていました。
また見に寄せてもらいます。
どうぞよろしく
  1. 2008/07/09(水) 11:58:46 |
  2. URL |
  3. komesenじいじ #-
  4. [ 編集]

カレーライスが700円というのは本当に安いと思います。
  1. 2008/07/10(木) 15:05:49 |
  2. URL |
  3. shadow #-
  4. [ 編集]

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